大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和54年(あ)325号 決定

国籍

朝鮮(慶尚南道咸安郡咸安面鳳城洞)

住居

大阪府八尾市堤町二丁目二一番地の五

会社役員

張在煥

一九三〇年一一月二一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五四年一月一六日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人上原洋允、同吉野和昭の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 環昌一 裁判官 寺田治郎)

○ 昭和五四年(あ)第三二五号

被告人 張在煥

弁護人上原洋允、同吉野和昭の上告趣意(昭和五四年四月二四日付)

第一、原判決には、判決に及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるものである。

一、(一) 本件各公訴事実についての犯意につき被告人には正確な脱税額数についての認識はなかったものである。被告人の意識としては「もしかすれば、脱税しているやも知れない」という未必の故意しかなかったものである。

(二) 本件についての争点の第一は、検察官において問擬する所得のうち貸付利息等の貸金についての所得を雑所得としていることである。

被告人は当時ネジ製造販売業を営んでいたものであるがこれと併せ、継続して事業の目的でもって、金銭貸借を反覆継続していたものであり、これが主たる事業と何らの関連を持たなくとも、また営業免許を持たなくとも、事業としての実体を有する限りにおいては、これから生ずる所得は事業所得であり、雑所得ではないのである。

次に第二の争点は昭和四八年度における貸倒損失についてである。被告人は昭和四八年においては、後に詳述するように約六五〇万円也にのぼる貸倒れ損失を受けているものであり、これは当然当期の所得から差引かれるべきものである。

二、被告人の貸金についての所得は雑所得ではなく事業所得である。

(一) 事業所得か雑所得かは、検察官が指摘するように「各場合の具体的事実関係に基き個別的に判断される」ものである。

一般的には「利子所得、配当所得、給与所得、譲渡所得等のいずれにも該当しない所得であり、その年度中のそれらの総収入金額から必要経費を控除した所得」というのであるが、右のような一般概念からただちに引き出されるものではない。

(二) 被告人は当時、ネジ製造販売業を主たる事業としていたものであるが、一方貸金業務についても、これを従たる事業として営んでいたものである。

証人山田政義も「書類を整理する上で、銀行関係の借入れとか、預金の状況、割引している手形の枚数、貸付金額そういうものから、判断していくと、ある程度、人数は、限定されているように思えたが一般的にいわゆる不特定多数に継続的に貸しているというふうに感じました」と供述している。

被告人は昭和四四、五年頃から、第三者に金員を融通するようになったものであるが、昭和四六年頃からは継続的に貸付けをしているものである。

貸付の形態は全て、「手形割引」というものであり、振出人や裏書人の信用において割引いていたものである。金銭貸借には、おゝむね三種の形があり、その一は、不動産貸付であり、主として不動産に抵当権等を設定して貸付ける方法であり、二は証書貸付けで、貸付証書に保証人等を附して貸付ける方法であり、その三は、手形・小切手等の割引(売買)による方法である。被告人は主として手形割引という形態にて金銭を貸付けていたものであり、別途不動産を担保にしたり、保証人をたてさせたりしていない。しかし貸付けに際して、これがため借用証書なり契約書を作成していなかったり、保証人を設けないということでもって、この貸付けの形態が不自然であるとか事業としての体裁をとっていないとかの評価はできないものである。現に被告人は、昭和五〇年八月二一日(株)大阪精機を設立し、その定款の目的にも「貸金業」を加えているものであるが、今もってその貸付の形態は手形割引であり、右貸付につき、保証人を設けたり、不動産を担保にとったりはしていないものである。

また、貸付先は常に一〇名前後あり、知人、友人の紹介により貸付けるというものであったが、これも継続的に反覆して貸付けているもので、これをもって事業・営業というに支障はないものである。

また、利息についても、通常の金融業者よりも低い日歩五銭程度であったが、これはその貸付先が友人・知人やその紹介先であったがためと相手先の窮状を理解してやっていたがためである。

してみると専従の従業員がいなかったこと、保証人を設けず契約書も作成しなかったこと等をもって、貸金業を営業目的としていなかったとはいえないものである。

(三) この点につき久米敏幸は

「被告人はネジ製造業という事業を営んでおります。被告人が貸金業あるいは手形割引業を業としていたという点につきましては、貸金先が一定しております。知人とか友人その点と認可を得てないということと店舗ももたない、いわゆる事業の片暇において貸付または割引していたと、そういう観点から判断致しまして、利息も非常に普通のそれを事業所得とするならば利率が非常に安い、担保も有しておらない、そういうような全ての要素を判断して雑所得と判定したわけです。」

と供述し、国税局の立場としては、被告人は(1)ネジ製造業という主たる事業があること(2)貸付先が一定していること(3)貸付業の認可を得ていないこと(4)店舗をもたないこと(5)利息が低利率であることを理由として本件所得を雑所得と評価したものであろうが、一方

「(被告人が貸金業としての認可をとっておらなくても、貸先が特定じゃなくて、金利も高かった、担保も取る分もあれば取らない分もあったけれども、契約書を作成し、場合によっては公正証書を作成しておったというような場合であっても)本件の場合は(雑所得に)なると思います。」

「被告人のネジ製造業を事業所得として認定したから、いわゆる貸金とか割引料はそれと関係のない雑所得として認定したわけです。」

とも供述しており雑所得として認定したことの基準については不明確であり、一体何を基準にしたのか、査察官自体も理解していないようである。

雑所得が事業所得か雑所得かの区別は、当の所得者の当時の事業活動の実際から判断区分されるべきものであり、主たる事業があっても、これと併せて別個に事業を運営しており、しかもこれが営業の目的をもって、反覆断続されており、利益を得ているものであるならば、事業として認定してさしつかえないものである。従って、先程のそれぞれの基準は一つの判断資料となりえても、これをもって雑所得、事業所得の区別をすることは正しくないものである。

以上、被告人の本件貸金業としての所得は、雑所得ではなく、営業、事業所得として、その区分のうえで算出されなければならないものである。

三、被告人の昭和四八年度の所得からは左の貸倒損失を控除されるべきものである。

貸付先 貸付日 貸付金 貸倒年月日

(1) 三浦永二 昭和四六年 金一、〇〇〇万円也

昭和四七年七月 金一、〇〇〇万円也

昭和四八年七月 金六〇〇万円也 昭和四八年 九月

(2) 米井斉 昭和四五年 金三〇〇万円也

昭和四八年七月 金六〇〇万円也 昭和四八年一〇月

(3) 山下竜栄 昭和四五年 金五〇〇万円也 昭和四八年一二月

(4) 吉川勝弘 昭和四八年七月 金一、〇〇〇万円也

昭和四八年九月 金五〇〇万円也

昭和四八年一二月 金八〇〇万円也 昭和四八年一二月

(5) (株)吉弘 昭和四八年一二月 金二七〇万円也 昭和四八年一二月

(一) 貸倒れということは、所得税基本通達によれば、「会社更生法による決定により切捨てられる決定のあった金額、清算和議により切捨てられる決定のあった金額、債権者集会の協議決定で合理的基準により整理され切捨てられることとなった金額、債務超過の状態が相当期間継続し、その貸金等の弁済を受けることができないと認められ、その債務者に対して債務免除額を書面により、通知した場合の債務免除額等」をいうのであるが、右は一応の具体的な基準にすぎず、これのみを貸倒れというものではないのである。現実に債務者が債務超過の状態にあり、支払が見込めない客観的な事情の存するときは貸倒れと評価してさしつかえないものである。

一般的に中小企業・個人企業の倒産にあっては資金的にも破産手続・和議・会社更生手続をとることは、事実上不可能に近い場合が多々あり、夜逃げ同然の有様で企業離散するのが実情である。従って、法的手続をとるものでなければ貸倒れの認定ができないというのは実際を無視したものである。また実際の倒産にあっては債権者集会を開催しない場合が多々ある。これは倒産者に資産等があれば、集会を開くメリットもあるが、夜逃げ同然にて姿を消した債務者が何の資産も財産も残していない場合には、かかる集会も無意味となるからである。従って、債権者集会の有無、そこでの協議ということも一基準としか成り得ない。

またさらに、債務免除の意思表示も債務者の所在が明らかである場合は意思表示も到達し得るが、前記のように夜逃げをし、その所在が明らかでない場合には、免除放棄の意思表示もできないことになるものである。従って、右基準は一つの具体例にすぎず、結局「回収不能が客観的事実によって裏づけされる」ものならば、貸倒れと評価し得るものなのである。

(二) 被告人の三浦永二に対する貸付けは、昭和四四、五年頃から、はじまったものであるが、昭和四八年一〇月には手形の不渡りを出して以降は全く元本はおろか、利息も支払不能の状態にあるもので、被告人が強硬に再三再四催告するも何の支払もないものである。

負債総額も四億程はあるようであり、完全「支払不能」の状態にあるものである。

被告人の米井斉に対する貸付けは、昭和三七、八年頃からはじまったものであるが、米井は昭和四八年初旬頃から資金繰りに窮していたもので、その後は支払利息も払えず、昭和四九年には資産もなく、債権者から姿を消して現在に至っているものであり、これも客観的に「支払不能」の状態にあるものである。

また、山下竜栄、吉川勝弘、(株)吉弘しかりであり、これらはいずれも、破産宣告こそされていないが、その実体は「同時廃止」と同様の有様であったものである。

被告人はいずれもこれらの者との間において、口頭ではあるが三浦永次については、昭和四九年一〇月三〇日に米井斉については昭和四九年三月三〇日、吉川勝弘については昭和四九年一月三〇日に、山下竜栄については、昭和四八年一二月三〇日に、(株)吉弘については昭和四九年六月七日にいずれも債務の免除の意思表示をしているのであり、貸倒れとしての要件は十二分に具備しているものである。

第二、原判決は刑の量定が著しく不当であり破棄されなければ著しく正義に反する。

一、被告人には脱税の確定的認識はなく、あったとしても、未必的認識、故意でしかなく、しかも、「貸金」については意図的所為はみられないものである。

被告人には「多額の貸倒れ」のことが頭にあり、決してこれがため利得しているとは考えてもいなかったことで、むしろ欠損がでているであろうと思っていた位である。

二、被告人は在日韓国人であり、あらゆる面において、いわゆる「金がたよりの世の中」であったわけである。被告人は金融機関から金員の融通を受けることも出来ず事業の運転資金の捻出から個人の資金繰りに至るまで全て他人に頼ることは出来なかったもので、自分が金を持っていなければ、結局日本では生きて行けない立場に追いやられていたものである。

ここにおいて、被告人は一円の金をも無駄に出来ず、金を残すことに終始しはじめたものである。これがため、いきおい本件の如き脱税ということになってしまったものであるが、その動機においては、十二分に斟酌されるべきものがある。

三、既に修正申告も済んでおり、その税も税務署との話し合いにより分割ではあるが、確実に履行していっているものである。

前記のように、国税局の査察完了後速やかに修正申告をなしているものである。

右は弁護人側で提出せる書証により明らかである。

尚、被告人は、履行し得る最大限の範囲で国税局と話し合い、分割履行の約定をしたもので、決して履行し得るのにかたくないのである(月額金四、〇〇〇、〇〇〇円也の分割金支払)。

しかも、右は履行確保のため、差押等の処置は全てされているもので、その履行は全うされることは確実のものである。

被告人には、再犯の虞れはない。

被告人は昭和四九年度からは全て税理面を税理の専門家である税理士にまかせ、以後現在に至るまでの適正な申告をし、納税しているものであって、本件の如き所為を繰り返すことはないものである。

本件の如き各所為は前記のように被告人のルーズさから生じたものであり、右の如き処置を完全にしている限り再び生じるものではないと断言できるところであろう。

この点は証人山田もかように供述することであり、被告人も右の事柄については言明するところである。

四、被告人には現在みるべき資産の全てを差押えられ、もしくは失ったもので、現在の収入は修正申告の分割金を支払えば、自己の生計を維持するのがやっとの思いでありこの点は十二分に斟酌ありたい。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例